「あなたは今幸せですか」?

 4/4 19:00-21:30 城内公民館 多目的室 

と、言われたわけではないのですが、そういえば数日前に某宗教団体の方2人が家に来て、ちょっと忙しいのでと帰ってもらったのですが、そこで出版している書籍をもらうだけもらいました。地獄に落ちない唯一の方法は信仰だ、という箇所に付箋が貼ってありました。
もう少し話してみれば良かったなとも思っている。

色々試行錯誤しながらシーンを創作する過程で、まさにタイトルのこの台詞が登場しました。なんで胡散臭く感じるんでしょうね。いやしかし、あまりに胡散臭いということがすでに共通了解になっているから、もはや何らかの勧誘の際に「幸せですか」なんてもう聞かないのかな。どうなのかな。
















そういえばアランという哲学者が『幸福論』を書いていたなとひっぱり出してみて、とりあえず93の命題のうちとりあえず「14 悲劇」の項目だけ読んだんですが、悲劇的なシーン、絶望的なイメージ、死者について生存者が何を思うか、といったことのみが描かれていました。
ああ、幸福について考えるときには、不幸についてもまた考えなければならないから苦しいのか。な。


いずれにせよ、他人と「幸せ」についての会話をするというのは、何か異常なことなんだな、ということがどうやら分かってきました。美味しいものを一緒に食べて「幸せ〜!」という溢れてきた気持ちを共有することはあれど、幸せ「について」語ることの怪しさ、危うさ。














最後に、俳優から出てきた問いをみんなで考える、という仕方で、「演じるとはどういうことか」、といったことについて、前にも稽古場に遊びにきてくれたゲストの俳優と共に、話しました。
最近福田恆存『人間・この劇的なるもの』を読み返していたんですが、人間は別に自由なんか求めていないんだ、求めているのは必然性だけだ、必然的な人生を送るためには俳優であることが必要なんだ、物語が最終的にたどる運命はすでに知っているけれども、それでもその運命を生き抜いていくという俳優であると考えるべきなんだ…といった様なことが書かれていました。
同意するところとそうでないところがあります。ありました。

みんなそれぞれに苦しみながら創作に取り組んでいます。創作を通じて色々考えてしまい、苦しみが喚起されたりしている様子です。必ずしもネガティブなだけではない苦しみ、ではある様ですが、いずれにしても何に苦しんでいるかは様々。

苦しみの共同体。その怪しさ、危うさ、あるいは。

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