第3期スタート、引くことの力

7/5 19:00-21:00 高槻現代劇場205 担当:渡辺

一ヶ月のお休み期間を経て、再開しました「あした帰った」。
新たなメンバーが増えたりなんだり、よそおい新たにまた1年。
どうぞよろしくお願いいたします。

最初のワークは、二人組で蛍光ペンのような〈棒〉を互いの人さし指で支え合い、
指先の感覚だけでコミュニケーションをとる、といったもの。

このワークでは、基本的には押し/引きの応酬によってコミュニケーションが成立します。
二人ともが同時に引いたら、当然〈棒〉は落ちます。
相手の動きをくみ取って、より良き関係をじっくり模索していかねばならない。相手が引いたら、こちらは押さねばならない。
あるいはまた、押しているのか引いているのか、だんだん分からなくなってきたりもする。
押させられている?というか、「押す」ことへと引き寄せられている?みたいな。

重要なのはここで、必ずしも相手の「意図」をくみ取るのではない、という点です。
二人の関係の中で、「行きたくないのにこっちに動いてしまう」みたいな瞬間が必ずおとずれる。
避け得ない意図せぬ動きを、どう遊び、どう乗り越えるかということが一つの肝になっていた様に思います。
しかし「私がコントロールして、現状のアンバランスを立て直さなきゃ」などと思うと、大抵はうまくいかない。
あくまで対等な二人の関係の中で、どういう解決策が見出されるのかを丁寧に模索する必要がありそう…私はあんまりうまく行かなかったのですが。

ちなみにタイトルは鷲田清一『「聴く」ことの力』をもじったものですが
しかし意味は近いかもしれない。すなわち、単なる能動性ではないものに積極的な価値を認める、ということ。
「演技をする」って何だろうと、考えれば考えるほどよく分からなくなってきます。
舞台上では「この私が演じてます!」みたいな「"私"感」、みたいなものが前面に出てくるとうるさく思えてしまう。
「私」は、上演中は引いた位置にある方が良い。前面に出てくるのは、あくまで戯曲の登場人物であった方が良い。
第2期の公演のための稽古中でも、「心もとない存在」としての俳優、みたいな話がありましたが、近いことかもしれない)
しかし俳優は、「引く」ということを「試み」なければならない。そこにどうしても「私」が介在する…?

云々。

演劇について、演技について、ここから再び様々に探っていけたら、と思います。

まだ、参加メンバー追加募集しております。
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https://www.gekken.net/actorslabo/cn30/pg702.html






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