いまなお可能な感覚、例えば演劇に、?

 2/11 13:00-17:00 渡辺健一郎

知っている人には常識でしょうが、演劇=劇場theaterの「thea」は「観る」ことを意味します。
劇場はつまり、「観る場所」ということ。
でもそれって本当に? という疑いから、現代演劇は出発しています。

人間は、あまりにも視覚に頼って生きている。
でも目の前のものが食べられるのかどうか、といったことは臭いや手触りで判断しなければならない。
自らの命を脅かすものの接近は、音や気配で察知しなければならない。本当は、恐らく。
それができなくなっているから、消費期限を数字で示したり、街中に監視カメラを設置したりしているわけです。

しかし視覚以外の感覚も鍛えて伸ばさねば、という単純な話でもない。
情報過多の時代には、視覚情報を整理することでどうしても精一杯になってしまい
ゆっくりじっくり手触りを堪能?している暇なんかないでしょう。

それでもなお、だからこそ、日常生活とは別のリズムで、街中の音やにおいに思いをはせる、そういう時間を作るのが演劇の一つの役目、なのかもしれません。

に引き続き、二人組になって片方が目をつぶり片方が手を引くワークをやりました。
今回はかなりの長丁場。エレベーターに乗ったりも。
日中で人通りが多かったのもあって、「感覚」をめぐる発見が、前よりもかなり多かった、気がしました。
身体で浴びる日光の強さ、密着の安心感、自転車の車輪の荒々しさ、云々。無数の事柄が、われわれの安心と不安のタネになっている。
目をつぶっている人に安心感を持ってもらうためには、「この人になら身をゆだねても大丈夫だ」と思える信頼感のようなものが大事そう。
信頼感を生むのは、意味として把握できる情報の多さや正確さ…よりも何か他の要因がありそうです。名指すことは難しいけど、もう少し探ってみたい。
今日はいつもより楽しかったので写真多めに。







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