演劇関係、力関係

 2/1 19:00-21:00 現代劇場205 担当:渡辺健一郎


ひもって良いですよね、確かに「ある」けど、かなり可変。
演劇が、単に二人(以上)の人間の関係を描くのではなく、関係の「間」や「外」に第三項をも介在させているものだとすれば
その原初的な一つのモノ、が、ひもだと言えるかもしれません。言い過ぎか。でもひもだけで数日遊べますね、恐らくね。

二人三脚、三人四脚、このどちらが主導しているのかわからない感じ、は色々考えるところがありそうです。
恐らく相手にあわせすぎても、先導しようとしすぎても上手くいかない。
なんなら合体して「一つのモノ」になることができればそれが1番良いのでしょうが、各々の「意思」や身体的な個性がそれを邪魔する。
意外と奥深そう。

私も参加させられたので写真撮れていないですが、二人でひもの両端をもち、片方が目を瞑り、もう一人が先導するというスタイルでもしばらく遊びました。
慣れてきたのち、近くの神社まで行って帰ってくる(!)ということもやりました。
発見は多い。例えば。
先導する側、ケアする側は、「至れり尽くせり」しすぎない方が良いのかもしれない。
目の見えない方は、あんまり情報が多すぎても処理しきれない。
あるいは例えば言葉で「次、溝があります」と言ったところで、どんな深さや幅の溝なのかは把握しえない。
「正確に」伝えようと思ったら相当に言葉を尽くさなければなりません。
目に見えない方の足元の感覚を「ある程度」信じて多少無責任、くらいの方が良いのかもしれない。
(「ある程度」というところがやはりポイントにはなるでしょうが…)
もしくは、「しばらく障害物なく安全です」といった様な、おおまかな情報の方が助かるかもしれない。

距離の取り方、力のかけかた、せいぜい90分くらいの短いワークでしたが、いろんな技術を見出すことができました。楽しい。

ちょっと今回の稽古内容とは外れますが、そういえばブライアン・ウェイが『ドラマによる表現教育』で「目の見えない人に共感するには、どんな知識を身につけるよりも、目を隠して体感した方が良いんだ(だから演劇的体験は良いのだ)」みたいなことを言っていた気がします。
対して伊藤亜紗は『目の見えない人は世界をどう見ているのか』で「少し目を瞑ったくらいじゃ目の見えない人の<世界>は体感できない」といったことを書いていました。
教育業界の一部だと「体験万能説」みたいなことが言われたりするんですが(そういう文脈で演劇が「良い」とされたりするんですが)、
やっぱりそんな単純な話じゃないよね…といったことが分かる(はずな)ので演劇体験は良いと思います。







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