2023/5/7 城内公民館 集会室3 13:00-17:00
2023/5/9 ゆうあいセンター 研修室 19:00-21:30

共感、共通、共鳴、共産、共同、共有、嗚呼なんと美しい「共」!
共にというのはしかし、その強度を増そうとすればするほど、強烈な摩擦も生じるもので、協調、競争、教条、強壮と様々に求められる場面があり、場合によってはそれが脅威に凶暴はたらくこともあるでしょう。
今日自転車で仕事先へ向かう際、或る小学校の掲げるスローガンが大きく門のところに貼ってありました、「共に歩こう」といった内容でした、「共に」というのはしかしやはりどうしても、「居合わせてしまった理解の及ばない誰か」ともどうにか「共に」あらねばならない、という、半ば狂気じみたことを含意しているはずなので、ただ美しいだけではもちろんなく、相当な苦痛や根気も必要でしょう、それを度外視した「共」はなんと空虚に響くことか。

ああそういえば思い出した、私は人生で3人ほどどうしても嫌うことしかできなかった人間というのがいて、そのうちの一人が中学一年のときの同級生だったんだけれども、担任との面談で「彼とは2年時には別のクラスにしてください」と直談判したのに、(おそらくわざと)同じクラスにされてしまったのだった。
2年の終わりに同じ担任に同じことを言ったら「やっぱり無理だった?」と返されて、一体この人は何を言っているんだろう、とかなり強く疑問に思った記憶がある。
(その担任はしかし良い人だった、良いひとだったからこその判断、みたいなこともあったのではないかと思っている)

しかし「共」からは逃れることができないというのもまた本当のところでしょうから、苦しくとも、それでもなお共、と言わねばならない。
劇団は共同、協働というのみならず、何らかの共謀を画策する集団かもしれない。劇団の共、観客と俳優との共、相手に、自分に、いかなる負荷もかけないというわけにはいかず、それはかなり苦しいことではあるけれども、かくも苦しい共なるものに、どうにか接近していくために、どうしても必要なことなのではないかという気もします。















今回の芝居、共、が必ずしもテーマではないのですが、しかし共をめぐって様々に思考が喚起されるような上演になりそうです。
考えれば考えるほどに面倒な事柄ですから、避けて通れるならその方が楽なのですが、しかし演劇をやる以上(もしかしたら現世で生きていく以上)仕方がなさそうです。
しかし今回の稽古でもっとも「共」が喚起されたのは「独唱」シーンだった、というのはなかなか興味深いことで。

ようやく上演に向けて何事かが見えてきた、のか?

※あした帰った「あなたは山になる」ご予約は以下から。
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