懸命に戯れております

 4/30 安満遺跡公園 多目的室 13:00-17:00
5/3 同、多目的スペース 13:00-17:00

概ね週2回の稽古になる今週からは、2回分まとめてブログを書きます。

高槻に数年前、安満遺跡公園という東京ドームが5個くらい入る広さの大きな公園ができました。
そこのスペースを借りて、今週2回、稽古が行われました。















各々が各々の課題に取り組んでいるので、まとめて書くのが難しいんですが、いま中心的にやっているのはテキストを「書く」「読む」という大きく二つのこと(あとダンス)です。
上演のために書くとか、客を想定しながら読むとか、ある意味ではかなり「異常」なことですので、各々、様々に違和や「引っ掛かり」を感じながら、書き、読み続けています。

2回とも、演出家が子どもを連れてきていたので、私や俳優は時折「一緒に外で遊んでくる(可能ならば、昼寝させるほどに疲れさせる)」という課題が与えられたのですが、これが大変面白かった。

「パパと一緒にいたい」とグズる子どもを外に連れ出し、存分に楽しませるにはどうすれば良いのか。
彼女が「やりたいこと」をサポートしたり、「達成したこと」を褒めそやしたりするというのはもちろんなんですが、「自分が忖度されている」ということに、なんだかうっすら気づいているような気配も感じました。
子どもがノってくる方策としては、「大人も共に楽しんでいる姿を見せる」というのが一番効果的だったんじゃないか、という気がします。
とはいえ、やっていることが「単なる児戯」だと思ってしまったら、大人もなかなかテンションが上がってこない。無理して上げなければならない。
ただ、やはり子どもの世界の見方というのは極めて特異なものだったので、それ自体が本当に楽しいことだとも感じられました。

例えば。
綺麗な白い小石が無数にころがっているスペースがあって、それを投げたり、身体にかけたりして遊んでしていたのですが、子どもがちょっと離れたところまで往復して、そこから石を運んでくる、といったシーンが何度かありました。
「綺麗な白い小石」が必要なだけだったら、そこらへんに無数にありますので、どこかへ行く必要はまったくない。しかし彼女にとっては、「あそこの場所の、あの石たち」というのが何らかの価値として感じられていたのでしょう。

大人の世界からするとあまりに無駄と感じられるこの考え、この動き。しかしもしかしたらどこかで演劇とつながっているのではないか、などと考えていました。
演劇もまぁ、大人の世界でこんなことがよく成立しているよなぁと思ってしまうくらいには「無駄」ですが、そうでなければ面白くもないでしょう。

いやしかし、私はせいぜい2日間、1日1〜2時間とか相手にしていただけなので全力で遊ぶことができましたが、これが毎日となると疲れてそうはいかないだろうなぁとか、「子どもの世界」といっても、それをずっと本気で楽しみ続けるのは無理だよなぁとか、そんなことも思いながら。





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