消え物はスーベニアになりうるか

 2/7 19:00-21:30 城内公民館 多目的室 担当:渡辺健一郎











前半。「かごめかごめ」でしばらく遊びました。なんだこれは。楽しい。
「みんなで一斉に声を出す」というのは、それだけで陶酔(あるいはそれに類する何か)を引き起こしますが、やはり肝となるのは中心に座る人。
なんとか声を識別しようと頑張るのですが、どんどん混ざって溶けて、よく分からなくなってくる。目を瞑っていてもなんか気持ち悪くなっていく様な…しかし同時に敬虔な(あるいはそれに類する何らかの)気持ちにもなってくる。

この曲と遊びは、ミステリアスな音階もあいまって、いろんな作品でモチーフにされています(『岸辺露伴は動かない』とか)。
しかし重要なのは「円」、「回転」、「多声性」などではないかと思うのですが、このあたりが強調された作品、何かあったかな。
最近こういう宗教的な? 陶酔する/させる技術に大変関心がある。演劇の歴史もまた、陶酔と覚醒の歴史ではないか、などと考えていたりして。











後半。最近後半は話あってばかりいます。後半からしか来れない人もいるのでやや申し訳なさもありつつ。
いずれにしても創作のテーマ(キーワード)は「思い出/作り」に決まりました。

私の第一感は「思い出って<作る>ものか?」といったものでした。
「なんだか心に残ってしまったもの」を思い出と呼びたい気持ちがある。
とはいえ、「○○に一緒行ったよね」みたいな「共通の話題」みたいなものは重要かもしれない。
一人では思い出せなくても、思い出を共有している人たちで話をすることで、思い出が補完されていく、みたいなこともあるかもしれない。
あと、「小学生時代に毎日通っていた通学路の景色」は覚えていなくても、「修学旅行のバスの中の一幕」は覚えているかもしれない。
「思い出に残りやすい条件」みたいなものが、もしかしたらあるのかもしれません。

「モノより思い出。」なんて日産セレナのCMがありましたが、モノは意外といろんな思い出を想起させます。バザーについて考えているときにもそういうアイデアが出てきていましたが、「思い出の品」は、品物それ自体以上に、やはりそれが秘めている物語が重要だったりする。
そしてもしかしたら実際の「思い出の品」である必要はないかもしれず、それに似ているものでも良かったりするかもしれない…
いや、この細かい傷はあの時の!といった具合に、まさにそのモノ自体の持つ固有性が重要だったりするかもしれない…わからん。

一口に「思い出」と言っても、切り口がたくさんあって、考えがいがありそうです。
(切り口多すぎて、書いていて途方もなさを感じ始めてもいますが)
人と話すための思い出、一人になるための思い出、生きていくための、死んでいくための、遺すための思い出。

そういえばスピッツで初めて買ったアルバムが「スーベニア」(思い出=お土産)だった気がします。それまでは借りてMDに入れていました。
スーベニア以前のスピッツの方が好きです。以降はあんまり聞いていません。
思い出でした。

※広島土産で、自分が食べたかったのでもみじ饅頭を買って皆に配ったのですが、
定番すぎる、食べたら無くなるこのお土産は、果たしてどれくらい思い出に残るのでしょうか。
※※広島駅近くの「かき傳」という店のご飯はどれも相当おいしかったです。これは思い出になりました。

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