『自由が上演される』読書会

12/13 19:00-21:30 城内公民館 集会室3 担当:O


本日は、あした帰ったの制作であり当ブログのメインライターである渡辺健一郎さんが第65回群像新人評論賞受賞作「演劇教育の時代」を増補し書籍化した『自由が上演される』の読書会を行ないました。

また、ゲストとして第65回群像新人評論賞候補作から優秀作に選ばれた『平成転向論 SEALDs 鷲田清一 谷川雁』を執筆した小峰ひずみさんがいらっしゃいました。

『自由が上演される』がどういった内容なのか、僕には書籍を要約するのは難しいのでAmazonの概要をそのまま引用します。

「自由」は教えられるのか。
参加者の「自主性」と「主体性」を引き出すとされるワークショップ。しかしそこでもある種の「権力」は生じうるのではないか。教師からも環境=アーキテクチャからも強制されない「真の自由」は可能か。プラトン、ランシエール、平田オリザ、國分功一郎、ハイデガー、ジャン=リュック・ナンシー、ラク―=ラバルトらのテクストを援用し、演劇、演劇教育から日常のコミュニケーションまで射程に入れた画期的自由論。
教える―学ぶ関係の非対称性、ケアにおける暴力性、ハラスメント、中動態と政治、声と不和、俳優と観客……さまざなトピックから現代における自由と倫理を問う大型評論。

「芸術について論じることで、見えていなかったものが見える、聞こえていなかったことが聞こえる、理解される。そういう世界への道筋が考えられていたのです。より良き上演があるとすればそれは、上演することが観客の感性の世界に別の意味をもたらすものなのです。」(本書より)

あした帰ったのメンバーには教育に関わる方や読書会を主催する方・参加される方も集っていますが流石に渡辺さんや小峰さんほど哲学に詳しい者はいないので、主に疑問点を質疑応答する形で会が進んでいきます。

開始時間より30分、開錠係の僕と同じくらい早くいらっしゃっていた小峰さんが、書籍に書かれているようなシアターゲームを体験してみたいとのことなので実践。

・相手の膝に座り、座られた人がまた別の人の膝に座り、最終的に円のようになる
・指に挟んだペンを手品のように器用に回し、その動きを再現できるよう教えあう(動きが文字で書くには難しい!)
・片足で立ち、もう片方の手を差し出しジャンケン勝負。勝った人は相手の手を掴もうとする。負けた人は掴まれないように手を引く

シアターゲームにはウォーミングアップからアイスブレイクまで様々な意図があります。打ち解けるには最適で万能な感じがします。が、本当にみんなそう思っているの?楽しげで自由らしい場に半ば強制されてない?というのが議題の一つだったりします(と思っています)。

ホワイトボードを半円形に囲んでお話が始まります。作者なら著作を最も理解しているはずだという言葉に、書いた人が一番分かっているわけではないんだとこの本に書いてある、と釘を刺してから。

多く質問が挙がったのが”中動態”について。中動態というのはギリシャ語などにある動詞の態です。演技にも良く用いられるキーワードで、その考え方を使うと説明できることが多くなる、とのこと。俳優としてラボに集うメンバーたちの興味の的だったようです。能動的と受動的の間にあるものではない。環境にそうさせられる、という意味になるそうです。
「楽しく自由な演劇ワークショップ」は果たして本当に楽しく自由なんですか、環境に(無意識に)促されていないですか、という話が頭に入っていると理解しやすくなったかなと思います。

例えばHe lools happy. 主語はHeだが、彼を幸せだと思っているのは話者の主観である。私が彼を幸せそうに思ったのではなく、彼にそう思わされたという考えが中動態に近い(のかな?)。

これ以上は難しいし内容の感想になってしまうのでこの辺りにします。ありがとうございました。




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