そしてまた一段一段と階段を降りていく

 11/22 19:00-21:30 城内公民館 集会室3 担当:O

本日は準備体操として他のアクターズラボクラスで行われていた

・名前鬼
・タオルバレー

をした。年齢層が若いのですんなりできるかと思ったが悪戦苦闘。
タオルバレーは別のラボで最高三百数十回ラリーが続いたのでうちもできるようになるといいですね。

今回の稽古はバザーは一旦置いておいて、いつものように詩、ではなく手紙の演出を考えること。
題材はライナー・マリア・リルケが詩を志す青年フランツ・クサヴァー・カプスに1902~1908年にかけて送った『若き詩人への手紙』からのひと段落。

詩での成功を夢見るカフス青年は、自作の詩をリルケのような大成した先達の詩人たちや出版社に持ち込み何か助言をしてくれと頼んでいるようです。
それに対しリルケは、他人にどう思われるかということより、どれだけ自分の深部に潜り思索する事ができるかという事の方が大切であると一貫して述べています。私は批評がましいことはしたくないとリルケが言うように、カプスの詩を直接取り上げ指南することは一切ありません。自分自身の書かずにいられない根拠を探り、そのやむにやまれぬ気持ちに従うことだ。誰かにおもねり、指導や支援を求めるようなことは止めなさい。その作業はきっと、詩を書かなくなった人生でも決して無駄にはならないだろう、と。
そして当然、この方法を忠実に実行したとしても必ず詩で身を立てて行けるわけではないし、仮にできたとしてもカプスが承認を求める若い内に達成できる可能性は限りなく低いだろうと言外に伝えていることも分かります。

この手紙について参加者で話し合う中で様々な意見が出ました。
・リルケは残酷である。カプスに売れるなといっているようだ
・カプスの気持ちはよくわかる。役者を続けることに一時は挫折したが、それでも続けたいという想いでやっている。やむにやまれぬとはこういうことではないか
・カプスを想うなら、もっと具体的な事をいってあげれば良いのに

僕自身戯曲と言うものを書き賞に応募していく中で、カプスとまるで同じ思いになり、誰かに助言を求めたことがある。十中八九、カプスが本当に欲しているのは赤ペンでここはダメ、ここは良いとチェックをつけてもらう添削だ。自信のない作品を強制的に改善して欲しい。成功への近道が欲しい。これが正直なところだと思う。リルケの言葉は確かにカプスに響いたと思う。しかしカプスの求めるものではないのは目に見えて分かる。
僕自身先輩作家に言われるのは大体こんなものだ。リルケの文章が巧みなだけで説教と紙一重である。この当時そういうのがあったのかは知らないが、僕が求めてたものは添削である。編集者であるとかがやってくれるものだ。スキルマーケットなんかでスクリプトドクターなどを名乗っている人もいる。
師とは結局のところ巡り合わせである。カプスがこれを受けてどうしたかまでは配られたテキストでは分からないが僕ならリルケは合わないしこれ限りにする。創作する人間は得てして全員孤独である。誰の助言もあてにならない。どうせカプスも、本当にいいものを書きたいんですリルケさんのは本物なんですとかおべんちゃらを使うのだろう。売れて持て囃されたいと言え。売れるためにはヒット作の研究、そしてトライ&エラーしかない。目的を異にする者の悲しいすれ違いが起こっている。リルケはカプスの未熟な気持ちを見抜いての事ではあるしリルケの気持ちもよく分かるのだが。この手紙をどう思うかと言われたらこんな感じになってしまう。手紙って心に留めておくべきものだ。

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