(真面目に)演技をする


9/6 19:00-21:30  城内公民館 多目的室  担当:O

稽古が始まる前、メンバーが先日観たBEBERICA『水の駅』の話になった。
水の駅は無言劇であるのだが、それを乳幼児とおとなを対象に上演した作品である。
言葉のない上演は乳幼児の遊び心を掻き立て、周囲のおとなたちはそれをなるべく自由に振舞わせる。率直な気持ちを声に出し、パフォーマーと同じ舞台で、観るというより共に過ごし『水の駅』を体感した子どもたちは、上演が意図した自由を越えて自由でいることができていたように思えた。空間に触発された子どもの素直な気持ちをそのまま舞台作品の橋渡しにする、その気持ちそのものが作品になったような舞台であった。

一つ目のワークは『はぁって言うゲーム』を5人でプレイ。
BEBERICA『水の駅』とは違い、演者がストレートに演技をして他者に情報を伝える演劇ど真ん中の力が要求される。伊藤ラボではよくテキストを与えられ、演技より”再現”することを求められる。『はぁって言うゲーム』は1文の台詞が割り振られるが、演技するというアプローチと再現するというアプローチでは感触が違うように感じられた。『水の駅』は水場に老いも若きも水を求め集う作品であるが、それは観客から見て演技と感じられるだろうか。演技はディティールを創作する必要があり、自身がどれほど水を欲しているか、蛇口に故障はないかなどのストーリーが見えてくるものだと思う。客観的にそう見える必要があるし、あくまで現在初めて経験した出来事であるように見えなければならない。
再現ならそれは過去のことであるのが前提である。しかし過去の出来事をを再び顕現させることはできない。だから自身の身体で可能な限り近づける、という作業方法になると思う。
第三者に理解させるには、”近づけた身体”よりもストーリーを与えるほうが簡単である。再現をメインにテキストを読んできたラボで、即物的に文脈を理解させる演技をしたのは新鮮であった。7月のこれからのカリキュラムを考えようというワークで、怒ったり泣いたりしてみたいという意見があった。感情を表現することは、演技とも、自身の経験から再現したと捉えられることがあり、その差が如実に表れるのではないかと思った。

2つ目のワークでは、今回は欠席している参加者が今週末出演する舞台のウェブページに載っているテキストに演出をつけた。真面目に演技をしてテキストに描かれる人物の心情を直接表現するか、ファーストインプレッションを受けつつも迂回して外堀を埋めていくか。勝手に拝借した文だそうなのでそう細かくは書けないが、テキストを真面目に読み込むと演技らしくなるのかなーと思った。






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