足取りを清書する


8/23 19:00-21:30 ゆうあいセンター・会議室1 担当:O先週に引き続きダンサー・散歩家の古川友紀さんのゲスト講師回。

まずは頭をバスタオルに乗せ、ハンモックのようにリラックスさせるワーク。
浮遊感は少し心もとないが、背骨が伸びる感覚と頭部の重さを施術側も受ける側も感じたと思う。


その後は横隔膜を意識する準備運動。吸う時にお腹が凹み、吐く時に膨らむ。これがこの次のワークに大きな変化をもたらした。

先週と同じく、二人組になり、一人は先を歩いて、後続はその歩き方を再現できると思ったらそれに続いて歩き出す。二人の同期を肌で感じたら先発は歩行から離脱し、後続は先発の歩き方や空気感が身体から抜けるまで歩き続ける。
横隔膜の体操と、先週からの慣れもあるだろうか、歩き方に重心を感じるものが多くなった。それは言わば個性がなくなることでもあるとの意見もあったが、ワークを行ったメンバーからするとパフォーマンスがしやすくなり、見ていても良い歩き方であったことを発見するポジティブな変化であった。歩き方が技術として上達していくことは再現の為の筋道が立てられたということでもあり、実験的なワークのターニングポイントだったのかもしれない。そんな中に”歩き方”ではなく”態度”を真似たというメンバーも現れ、まだまだ発展の余地を残した実験であることを感じさせた。

その感覚を保ちつつ、再び先週と同じ、部屋を歩き(踊り)回る人の足取り(や雰囲気)を紙になぞっていくワーク。古川さんから、踊る側も書く側の様子を伺うと良いという言葉があった。実際にやってみると、踊る側は書く側の軌跡を、書く側は踊る側の下書きを清書しているように感じた。二人に共通のGPSを持つと言えば伝わるだろうか。そもそも線を描くということは頭の中にある下書きを紙に清書するようなことではないだろうか。まだ掴めてはいないが、ここでも同期が必要になってくるだろう。

最後は、トレーシングペーパーで新聞の写真や絵の模写と、手元を見ずに相手の似顔絵を書くワーク。線や絵を描く時に参照にするものは頭の中のイメージばかりではない。トレーシングペーパーに浮き上がった線を清書する。目で見た相手の姿を頭を通さずに清書する。
演劇における”再現”とは清書するという意味も含むのではないだろうか。誰の下書きをなぞることになるのかは分からないが、それは先人だったり、街の人々の足跡を辿ることであるのかもしれない。


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