決めることは厄介だな
3/15 19:00-21:00 高槻現代劇場205 担当:渡辺健一郎
5月末の〈上演〉に向けて、話し合いをしました。
形式について、内容について。
今回の稽古場は、コロナ禍のあおりも受けて、
開始が何度も延期されたり、長めの中断があったり、
形式について、内容について。
今回の稽古場は、コロナ禍のあおりも受けて、
開始が何度も延期されたり、長めの中断があったり、
ただ集まる、ことにすらかなりの困難を伴いました。
zoomなど、オンラインで会議ができるようになって(「オンライン会議」が一般名詞化して)
便利になった側面もありますが、みんなどこかで大なり小なり違和感は覚えていることでしょう。
「直に集まることは何か」を考える場が必要で、その筆頭に演劇の場が上がってくる、とは言えるでしょう。
そういう名目で「あした帰った」第二期はスタートしたのでした、そういえば。
開始が延期されたこともあって、当初予定していた劇場で上演することが叶わなくなり、
「普通の」上演形態ではどうやら上手くいかない、ということになりました。
この状況で、この参加者たちで、高槻という場で、どういうことが可能なのか。
どういうことをしたら面白いだろうか。考えています。
当然各々に思っていることは異なるので、
決める、というのは大変だなと、毎回思います。
演出のことをdirectionなどと言ったりもします。方向づけ。
あるいはもう少しマニアックな話になりますが、フランス語のsensという語が、「方向」「感覚」「意味」を同時に表します。
方向づけがそのまま意味づけになるし、どういう感覚が生じるかもそこで決まるわけです。
一つの事柄に、複数の感じ方があると知ってしまっているわれわれは、そこに一つの方向を、一つの意味を付与していくことに抵抗を覚えたりもします。
それでもなお、上演のためには、どこかの方向に絞っていかなければならない。
なんと苦しい作業でしょうか。他の方向への未練を断たねばならないのですから。
決め方を決めるという作業が、どうしても必要になると思います。
それでも涙を飲んで、どこかへ。…あるいは決めない、という地点にとどまることができるのか、どうか?
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