表現<と>自由の場について

 11月16日 19:00-21:00  高槻現代劇場205

話題の「明日のハナコ」をみんなで読みました。
事情を知らない方は、まずこちらへ(台本のダウンロードもできます)→ https://ashitanohanako1108.wixsite.com/home

上演に関わる営みをしているわれわれですから、表現の自由云々の話をする前に、実際に台本に触れてみようじゃあないかと。

関わったことのある人なら分かると思いますが、「高校演劇」というのは極めて特殊な場所です。
いや、地域によって、あるいは顧問の先生がどれだけ介入してくるか(作・演出を担うかどうか等)によって違うのかもしれませんが、
例えば単純に、高校演劇以外で上演を「競う」ことなんてほとんどないでしょう。
明確な評価の基準みたいなものは存在しませんが、制限時間は厳密に守らなければならない。
そのためか何なのか、高校演劇の特有の「ノリ」みたいなものが存在する。
必ずしもその「ノリ」に乗った上演が大会で評価されている訳ではありませんが、経験者と「高校演劇のノリ」について話をすると、大体共通認識がある。

「演劇」と「高校演劇」は別ものであるようにすら感じられる。
そしてとりわけ(仲間との演劇活動自体は非常に楽しかったものの)、大会で大人の様々な意図の錯綜に巻き込まれて非常に嫌な思いをした私などは、「高校演劇」を手放しで良いものだとは言いづらいところがある…

表現を自粛したり差し止めたりすることは、全くもってナンセンスだと思います、ので抗議すべきところはすべきでしょう。
同時に。その表現がどの様な場で、いかに産み出されているかということも考えなければならない。

今回の稽古では当の脚本を読むことで、それが試みようとしていたことと、自分たちの演劇観との異同を検討しました。「自分の演劇観」なんて明快には分かりませんが、各々に少し輪郭は見えた、かもしれません。
表現の自由を守るために署名した方々にも、是非一度台本を読んで、色々考えてもらいたいと思います。

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