かくも恐ろしき虚実のあわい

4/10 13:00-17:00 蔵
4/12 19:00-21:00 高槻現代劇場
担当:渡辺


具体的に考える、現実的に考える、ことはなんと苦痛を伴うのだろうか。

ああずっと想像と象徴の世界にいたいとも思いつつ、しかし同時にあちらとこちらとが結びつく点にとどまらねばならないとも強く思っています。


演劇というのはその意味で、どうしても現実のことを考えざるをえない、という点が良いのでしょう、

イヤでも怖くても


虚構と現実は裏表なのだ、虚実皮膜なのだなどと言うのは簡単なのですが

どの様にして重なっている、重なりうる、重ねうる、あるいは引き離しうるのか、みたいなことを考えなければあんまり意味がないのでしょうね、


現実に虚構というフィルターをかけるのか

現実に虚構を滑りこませるのか

現実とはそもそも虚構と区別ができないのか

虚構によってようやく「現実」が見えてくるのか

うんぬん。


ただ歩くということ、しかし時空間を制限して

手をつなぐということ、半強制的に

暗闇に身を潜めること、覚醒したままで


どこに現実がありどこに虚構があるのか?

この問い自体が恐ろしく感じてきました。

違った、この問いが恐ろしいことは知っていたけど、最近それを思い出したのでした。









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