別様に、それでもなお

3/1 19:00-21:00 担当:渡辺 

愛をめぐるいくつかの言葉を読み、話しました。
例えば『夕鶴』。高校時代には、欲に溺れた哀れな男が愛を足蹴にして絶望に至る、くらいの凡庸な話、みたいな感想しか持っていませんでした。
それ以来に読みましたが、全然違った。断然辛かった。
与ひょうを「欲に溺れた」などという簡単な言葉では形容できないし、つうがこんなに悲痛な声をあげていたなんて全く覚えていなかった。

悲痛さの演技はいかに可能か。「〈悲痛さ〉を表現しよう」と思うとやはり上手くいかない。
では、悲痛な状態を作るためには?自らを悲痛な状態にするためには?
 何度も似たような問いに戻ってきますが、俳優が挑戦しなければならないのはいつもこの問題です。単純ですがもっとも大きい謎。

最後に講師から「演劇に何ができるのか」と問いが投げかけられました。
私は昔から「最悪にいたらないため」に演劇を考えてきました。
最悪は、一度起きてしまうとちょっとやそっとでどうにかなるものでもない。
それを中断するためには、別の大きな力がどうしても必要になってしまう。
既に起きてしまった最悪には祈りを捧げつつ、
同時に次の最悪にいたらないために、現実世界で流れているのとは別のリズムを生み出すこと。
黙々と、あるいは朗々と。





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